フジクラと三菱電線工業の伝統を受け継ぐフジクラ・ダイヤケーブル。長年にわたり培った技術と志をひとつに、産業用電線事業の製造・販売機能を担うメーカーとしてDNAを進化させます。
アーク燈に新時代を直感し、「電気万能の時代が来る!電気に関係ある事業につけたら、必ず将来発展することができる!」と考え、試行錯誤で「電線事業」を開始した。
藤倉で働いていた恩田吾郎が1905年、大阪府境川に日本電線製造(後の大日電線)を設立。
1964年に大日電線と日本電線が合併して大日日本電線となる。
1986年に三菱電線工業へ社名変更。
本格的な高度経済成長時代に突入し、電線の急激な需要増や品種の変化に対応すべく、埼玉県熊谷市に日本電線の新工場として操業を開始。その後、電力ケーブルを主力とした工場に発展。
1965年からのいざなぎ景気を背景とした電線需要の急増で、工場誘致していた鈴鹿市に呼応して電力CVケーブルの専用工場を開設。「エネルギー伝送を通じて社会に貢献する」という使命を継承し、国内インフラの一翼を担う。
それはチャレンジでした。4拠点(福島、愛知、三重、大分)に分散していた600V CV・CVTの製造集約のため、各拠点の主力設備を移設し専用工場を設立。高品質な製品を短納期でお届けしています。
株式会社フジクラの建設・電販市場向電線事業の販売会社として、フジクラ販売株式会社を設立。
CATV用アルミパイプ同軸ケーブルの製造工場として、テクノポート福井(福井市)に設立。その後、携帯電話の普及・拡大に伴い、基地局用高周波同軸ケーブルを主力とした工場に発展。
最先端の技術を追求し幅広い分野を通じて社会インフラに貢献するフジクラと卓越した技術で信頼に応える三菱電線工業の技術と志を継承し、株式会社フジクラ・ダイヤケーブルは生まれました。
株式会社フジクラと三菱電線工業株式会社から産業用電線事業全般に係る製造機能および販売機能を譲受、製販一体による事業運営開始。
本社を中央区築地のコンワビルより千代田区丸の内の新東京ビルに移転。3フロアに分かれていた執務エリアを1フロアに集約。
株式会社フジクラの関係会社であった米沢電線株式会社、フジクラ物流株式会社、富士資材加工株式会社の3社をグループに迎え入れた。